カテゴリ:

2019/09/03

人生訓その3

お釈迦さまが 捨てられたものを

必死になって 追い求めている私たち

賜りものの命を 賜りものとも知らずに ただ生きているのを畜生という

せっかく賜った命を 持て余して生きるのを 地獄という

今日もまた まっさらな一日が はじまります

現代人には耐える心が少ない

それは自我中心の心が強い

自分に合えば愛となる

合わなかったらすぐ憎しみとなる

我 以外 皆 我が師なり

たった一言が ひとの心を傷つける

たった一言が ひとの心を温める

亡き人は 思い出となって私の心に

念仏として私のいのちに相続されている

帰るところがあれば 人はくじけても また歩き出せる

自分の顔を見る鏡のごとく

他のものも見えるような 自分でありたい

今を 問わない人は 道に迷う

わが心 鏡に映るものならば

さぞや 姿の醜くかるらん

生の依るところ 死の帰するところ それは浄土

なつかしい いのちのふる里

使い捨てをしていれば

いつか必ず使い捨てられる

なんでもわかっているとしている

こころの闇さ

智は思いを転ずる力

恵は思いを破る力

人生に代理人はいない

死の事実が 生の意味を問う

光にふれて 闇の深さに気づく

悪魔は 善を破壊し

善魔は 善に固執する

人間の信は条件づき 如来の信は無条件

無条件の信にあわなければ 安心はない

人に恥じ 天に恥じる心を 持たない人

その人を畜生という

私を 苦しめるのは 私の心

人生如何に生きるべきかを言う前に

如何に生きているかを知るべきである

「信仰を持つ」のではない

「信心の身になる」のである

長生きを のぞむ人は多いが

よく生きることを のぞむ人は少ない

若さとは 内に問いを もつこと

信心に する信心と いただく信心がある

水蓮は 泥のなかで生じ 泥のなかで育ち 泥のうえで開く

「敬老」とは 自らに刻々と 与えられる老いを 敬うことです

形にこだわる必要はないが

形がいつの間にか

私を育ててくれることがある

ほんとうのご利益とは 苦が苦の状態のまま 苦でなくなることである