人生訓その2
今日という日は、いつか到来する明日のためにする一日ではなく、今日は私のいのちの一大事の日
人は年を重ねただけでは老いない
理想を捨てたときに老いる
自分がわからない人は他人を責める
自分がわかっている人は他人を痛む
気づこうが気づくまいが真実は常に真実としてある
真実によび覚まされておさめとられていく
あれは嫌い、これは駄目、あいつは困る、こいつはときり続ける
私はどうもハサミのようだ
わかっているようで一番わからないのが自分
変えようとしても変えられないのが自分
生まれた時から死ぬときまで一緒についてくる自分
自分は時々味方になる
自分は時々敵になる
みんな自分と戦って生きている
よいものがあっても
そのよさを知らなければ
それは無いに等しい
欲しいものはたくさんあるけれど
必要なものはそう多くない
そのうちそのうち弁解しながら日が暮れる
親に死なれてはじめて親に出会うこともある
災難が来ぬように祈るのが信心ではない
どんなことが来ても引き受けてゆける力を得るのが信心である
学ぶ暇がない、仏法を聞く暇がないという者は
暇があっても学ばない者である
食べねば死ぬ 緊急の課題
食べても死ぬ 永遠の課題
孤独は山になく街にある
一人の人間にあるのではなく大勢の人間の「間」にある
人は真実を見ることはできない
なぜなら人は見たいものしか見ようとしないからである
人は都合のいい時だけ祈るものである
終わりになるほどやり残したことの多さに気が付く
大事なものが手に入らないのは
要らないものを持ちすぎているからです
何が起こるか分からないのが世の中
何をしでかすか分からないのが自分
どれほど好きとおもうとも
どれほど嫌いとおもうても
死なない人はないのです
花は美しく咲いても自慢しない
いつまでも咲いていたいと欲張らない
人はあらゆるものを知っているけれども
自分を知らない
他人の顔は自分と違って当たり前
でも他人の意見が違うと腹が立つ
すべてのこと 姿形は縁って起きているから「空」
空は「縁起」しているということ
固定したすがたかたちはどこにもない
念仏のご利益は
祈祷やまじないから開放されることである
水はつかめません すくうのです
心はつかめません 汲みとるのです